昭和46年11月1日 月例祭 ★
ぼうけしょうという、どうもあたくしども、(秋永兄弟?)はあの、皆そのぼうけしょうだと、ね、ですからその、ぼうける事がけして悪い事ではない、いや素晴らしい事だと、ね。それは、例えば信心なら信心にぼうける場合は素晴らしいけれども、ぼうけてならない事にぼうけるのが、まあ悪いのであって、そこで、まあぼうけしょうの人が、ね、有り難い事にぼうけて、ぼうけてならない事に、ぼうけんですむほどしの、自制心と言うか、ね、力を頂かせてもろうたら、もういよいよ、神に向こうていく事が出来る、というわけです。
だから、ぼうける事は、あー、有り難い事だという風な事を話しておりますね。私はあの、ぼうけなければね、あたくしは、あの、神様へ向こうて行く道などというものは、辿られないと。私が、えー、久留米に、もう20年も前の話ですけれども、(商売?)に行きます時に、もう夜の御祈念も終わらして頂きましてから、あー、夜の御祈念の終わらして頂く、ご挨拶さして頂く時にです、久留米への布教を頂きました。
そして、今、ただ今からという事でございましたから、それこそどこへ行く、行き当てもないですけれども、(しゅう?)のバスに乗りましてから、そしたら(でまいりました。?)さあどこへ向け、まあとにかく神様のお知らせを頂いていかにゃなりませんから、とにかく、西鉄の駅前にと、降り立ちましてから、あそこで御祈念をさせて頂いた。
★そしたら、頂く事が、あの前に富田屋というのがありますね、富田屋という、何か果物とか菓子なんか売ってますね。すると、こちら右手の方に、えー、靴と鞄という大きなネオンの看板が、今でも出ておりますかどうか知りませんけれども、それを頂きました。それから、えー、あの当時、西鉄のすぐ近所に久留米の石井さんがおられましたから、ね、その石井さんの所に、行く事に頂きまして、そこに参りましたら、ちょうど、いわゆるお産に帰ったという、その翌日でした。
ですから、えー、まああの部屋その部屋があいとりますから、どうぞという事でまあびっくりして、まあそこで、えー、一月あまりでしたかね、布教さして頂きました。あたくしが、もう、おー、第一線に立ってまいりました。もうそれこそもう、そりゃもう瞬く間にたくさんの人が集まりましてね、婦人会が出来た、総代会が出来た、壮年会が出来た、青年会がでけた。もうほんとに、瞬く間でした。
あたくしはそこの御結界に座ってから、外へ出ませんけれども、二、三日目でした。「ちょっと先生表へ出てみて下さい」「何の」「ちょいと表出てみて下さい」っち。(よく?)表に出てみたら、表に大きな八波の御紋した(堤燈?)二つさがってから、家ば見たら、家ば全部ペンキ塗りにして、それに大きな八波の御紋(署?)が書いてあった。
もう、もうとにかく驚いてしまいました。というほどしの、おー、おかげでしたね。それが、久留米に出ました、もういわゆる第一歩。その後、光明先生が、まあ受けたわけでございました。これはもう月例祭なんかの時にはもう、ここよりもお供えが多いぐらいであった。
その時に頂きました、いわゆる、富田であり、又は、えー、靴と鞄である、ね。靴と鞄という事は、どういう事かと言うとね、靴と言う字は、革篇に、化すという、化けると書いちゃあるんですね。革篇を、革を書いて、「人」を「ヒ」とこう書いてある、ね。革は化す、化したやつ、革が化けた物。
だからお互いがですね、あたしゃ革だからと、鞄でもなからなければ靴でもないのですよ、ね。わたしゃ人間だからと言うて、ね、なるほど持って生まれた時に、あたくしどものここの、中に、神様の性根というものを頂いておるけれども、ね。いわゆる我情我欲がいっぱい溜まって、えー、いわゆる、神様の神聖な魂をです、ね、それこそ、おー、(ぶんぶ?)人間に化してしまってるわけです。
だから信心とはそこを知って、そこん所をです、改めていく、磨いていこうという事、そして、本来の神様に帰って行くというのが、お道の信心です、ね。そこから、いわゆる人間、万物の霊長と言われる、その霊長である所の、れいせいも発揮されます、もちろん、神性も発揮されます。
これはもう、不思議な事ですよ。れいせいが発揮されるという事はもう、不思議で不思議でたまらん事です。今日はわたくしお風呂に入らして頂きよって、歯をね、洗わせて頂いて、この淵がこのぐらい低いんです。まあこんな高い所から落とした事もあるんですけれどもね、何でも無かったのが、ひょこっとこのぐらいの所から落ちて、カチッと落ちたんです、下の歯が。
そん時にあたくしは思うたですね、「あいたっ。これははめれんごつなるな」と思うた。これはもう冷静、霊感です。さあはめた所が、がっちりはめられん。まあちょこっと曲がったか何かでしょうね。だから、人間の心の中にはですね、もうそういうものがちゃーんとあるとです。だから冷静な見方が出されましたらね、それこそ、降る天の事すらが、あー、わからんのが人間、ね。
その冷静というものが、もう鈍になってしまってあるわけです、我情我欲で、ね。ですから、えー、その冷静が段々こう、研ぎ澄まされて来るという事がです、我が心神に向こう事であり、ね、信心とは、ね、和賀心が、あー、「生神とはここに神が生まれるという事であって、この方がおかげの受け始め」と仰る、おかげを受けられた教祖金光大神を目指して、あたくしどもは進んでいく。
ま、ですから、だから普通ではね、例えば、あー、先日の、おー、そこの(野口?)さんがお届されておりました。熊本にお姉さんがおられます、まあ信心さして頂いておる、有り難い事も知っておられる。又、信心によって野口家が助かって行きよる事も知っておられる。
けれども、あまりものその、おー、いろんな用件が、いや、あー、いつといつといつは、合楽の御用があるけん出来んばのっち言われるもんですから、その方に言われた。「とにかくもう、久留米の妹達はもう金光さんにぼうけしちもっちから」と言われてその事を、大変嬉しそうにお届けされました。
ぼうけとるという事が嬉しい。人から見たらほんとにちぃっと金光様にぼうけてござる。と言われる事が有り難い、ね。この頃からあのー、これは、あー日田の綾部さんも言うておられました。「もう先生、日田のはこの頃、もうOOの奥さんはこの頃はもう、金光さんにぼうけてござるな」っち評判しよるそうです、と言うと、ような事を言うておられる。
なるほど、ちっとはぼうけなければとてもとても、人当たりからね、毎日お参りなんか出来やしません。一生懸命御用なんか出来やしません、ね、その一生懸命に参る、一生懸命に御用を頂くという事がです、ね、おかげを頂きたいから、一生懸命になるのは、そりゃほんなもんじゃ無いです、(じざっか?)でしょ。
ね、何かばもらわないけん、一生懸命御用する、もう一生懸命お参りして帰っておかげば頂かにゃ、なるほど皆そうですけれども、段々信心の本当の事がわかって、わからしてもろうて、信心が嬉しゅうなり、有り難うなり楽しゅうなる、ね。その事がです、それこそ一日もお参りせんならばもう、合楽の方からこうやって手招きしよるごとある、ね。
いつのまにか、合楽に、合楽にと、皆の心が向こうて来るという事はです、ね、いよいよ、私はもうぼうけ初めである、と思う。そういう信心にならなければです、これは一生経ったって、我が心が神に向かう事もなからなければ、ね、生神の道を目指していくという事でもない。それがね、生神の、その神へ向こうて自分の心がね、進んでいくという事が楽しゅうなるという事は、参る事も拝む事も、お話を頂く事も、お話しを頂いてそれを守らしてもらう、用意させて頂くという事が楽しくなる、ね。
そこにです、いわば期せずして、ね、それこそ、不思議な不思議なおかげが頂かれると、ね。ですから、ここん所をです、純粋にね、あたくしは、本気で信心さして頂こう、ぼうけさして、まあぼうけさして頂く、自ずとぼうけてくるのです。そのぼうけてくるというのがです、もうすでに革が言うならば、靴に化してゆくために、もう少しずつ、ね、いわゆる、革と言わずにもう靴と言う。
「これあんた革はいとるばいの」と言わんでしょ、ね。革で、「ほらあんた革ばこれだけ(さい?)とるばいの」って言わんでしょ。やっぱ、「鞄ばこれ立派な鞄ですな」と、ね。これはもうあたしはこの頃(?)だった。あー、ある方から、一万三千円、そのー、よか靴をこうてくださいっちゅってから、長男がお祝いにもらった。それから、その福岡に行った所、ちょうど一万三千円の靴をこうて来た。
見かけはそげん変らんけれども、そりゃあんた新婚旅行にはいていく時に、足痛い、(あちらじゃ 座れんけんね?)途中で裸足になる(ごとくにいかんけんで?)、ちっとはき慣れとかにゃいかんばいちゅったら、靴屋が絶対どげな足でも合いますっちゅっとったけん。うん。うん。やっぱね、普通、例えば三千円か四千円であるでしょうが。一万も高い、一桁違う。もちろんはかれんです、むかしはいっちょんかわらんごと入る。
人間でも同じ事、ちょっと(千円ばさらかですね?)顔の真ん中に鼻(どんがっておる?)もの二つある口の、こう横にやっぱ付いちゃある、(ふとなりこまかなり?)、うん、ね。けれどもね、この、あのー、今朝からの伊万里から参ってきたあばあさんがですね、いわゆる、自分の息子夫婦と、ご自分とが月に一回必ず参ってくるです。もう久留米に入ってきたらですね、胸がどきどきしてくる。
もうここへ入ってきてまあ、おそらくこう座って、いよいよ座ってござるねと思っとったら、なるほど座ってござるじゃったけれども、また、あたくしちょっと用があってちょっとすわ、まあ八時過ぎでしたけれども、座ったらもういっぺんにこう泣けてきた、ね。もうそうあたくし革じゃない一言、鞄か靴かだからだ、ね。そういうようにですね、この人が来て頂いたばっかりで、家の中が明るうなるという人があるでしょうが。
この人がおられるばっかりに、何とはなしに、ね、もう安心ちゅうような気がするでしょうが。そういう人を目指せ、と言うんですよ、ね。それがいうなら、そういう人を目指すという事がです、我が心が神に向こうて行く事を精進する事であり、ね、我が心が、一歩一歩、例えばもう人がもう鼻かいておる時にも、はなかく段じゃなかもん、有り難くてかけんというようなお礼の言えれる心なんですから。
先日末、二、三日前でした。ちょうどあの朝、んー、御理解を頂いておりましたから、その御理解がちょうど、あたくしの、おー、しかし思いがけなくやっぱ起こってくるですからね、お試しだったんでしょう。もう、思いもかけない事がです、起こってきたんです、ね。それはもう、ほんとにあの、まあ内容は申し上げられませんから、具体的な事は申し上げられませんけれどもです、ね。
それは(もうその?)人間関係です。それはもう、ほんとにもう、おー、何と言うんですか、あー、もうほんとにこちらをもう馬鹿にしとらなければ言える事じゃない、ね。それもやっぱり、もうほんとにあたしを憎んで、その時だけは、もう妬むとか憎むとかという心がなからなければ、そげな事言える事じゃないというような事が起こってきたんです。
私、御信心やらせて頂いてからですね、★「お前がね、相手の人を神様のほんとに有り難い有り難いと言いよるばってん、お前が言うとるその相手にはこういう根性がまだ残っておるぞ」と神様からお知らせを頂いたんです。だから、ははあ神様そうでしょうねえとあたしが言うておったら、失敗だったでしょうね。
ははあ、あたしはあの人を信じとったばってんから、まあだそげな根性あるばいな、とあたしは思わなかったです。もうあの人にとって見れば、そげんも言おう事もあろうとあたしは思うたです、ね。あの人も人間だから、ね、例えばあたくしにも言おう事もあろうと思うたら合格という、例えばお知らせをまあ、そげん合格と仰らんけれども、まあそういう事を私の心に響き帰ってきた。
危ない事で今日は、あー、その、失敗する所だったと思うようにですね、普通で言うならば、もうそこがくっときてから、顔色も変るぐらいの事あるとです、ね。それが、あの人も、あの人は、あああるのが、まあ当たり前だというような頂き方なんです。ああも言われるのが当たり前だとこう思うた。だからここにはなーんも無いでしょうが。
どんなに顔に関わるような事を言われても、それが、こじきじゃと言われても、ね、例えば泥棒だと言われてもです、顔色一つ変えんですむという事は、有り難い事でしょうが。その有り難い心がですね、もう既に神様なんです、その有り難いその心にね、おかげが受けられるとですよ。ですから本当のおかげを頂く為には、あたくしどもの心がいよいよ、神に向こうて進んで行く、ね。
それこそ、言うならば、人間でありながらです、ね。いろいろな例えばここに信者さんが、五百人なら五百人あるとしましょうか。その、五百人だけは、あたしは持てる力を持っておる、それこそ、鞄じゃないけれども、革篇に包むと書いてあるでしょうが、ね。同じ革は革でもです、鞄になっておる、しかもその中に、五百人というものを、抱擁する事の力を頂いておるという事。
なるほど、鞄だなと、革とは言わんのです、ね。素晴らしい靴になりますとです、それこそ、誰がどんな人が履いても、当たらない触らないようにです、どういう人に接しても、どういう事を言われても、触らんですむような私になるという事が、有り難いじゃないですか、ね。だからあたくしは、ぼうけなければとても出来る事じゃあないと、ただ、おかげば頂くけんお参りをするというのではない、おかげを頂かにゃならんけん御用をするのじゃあない、ね。
三日の日が、あー、福岡の、おー、八十年祭ですか?八十五年ですか?、八十年?八十年、ね。(吉木栄蔵?)という先生が、もうやんがた七十ぐらい、やんがた七十から、布教に出られたんですからね、大したお方、大変なお方、ね。もうそれこそ願行にかけては(吉木栄蔵?)の右に出るもんもおるまいと、当時の二代金光様が仰るほどしの素晴らしい先生じゃった。もう願行にかけては素晴らしい。ところが、非常に賢いと言うかりこうと言うかね、えー、まあそう言う、まあ系統ですね、福岡区にはこう、零泊な方達が多いんです。
そこに、四神様が馬鹿と阿呆で道を開けと仰った。だからほんとの馬鹿やらちょうじゃいかんですからね、あたくしどもも例えばりこうに生まれておっても、そりゃ馬鹿になるという所にです、あたしは値打ちがあると思う。それが、我が心が神に向こうて行くと言うのです、ね。もうそげな事言うっちから腹、腹立てんならそれこそあんた馬鹿じゃなかの、と言われる。
けれども、腹の立つ所じゃない、反対にお礼を申し上げておるというような心の、状態、ね、いわゆるあたくしどもの馬鹿と阿呆になれという事、その馬鹿と阿呆に本気で、ならせてもらおう精進させて頂こうと言う心がです、ね、言うならば、大きな心とでも言おうか、豊かな心とでも言おう、麗しい、美しい心とも言える。ね、だから逆らうのである、ね。馬鹿と阿呆で道を開く、あたくしどもも馬鹿と阿呆になる稽古もです、あたくしどもが生神を目指して進むという事も、理屈は同じ事なんです、ね。
革が化して行ったら、靴と言うように、ね、しかも、その革が、たくさんのものを抱擁していけれる、包んでいけれる、鞄を目指さなければいけません。ね、なるほど、姿形は人間ですけれども、その人がこうやってお話をしておると有り難とうなる、その人がそこにおったらもう感動が湧いてくるほどしにある。もうどういう心配な時でも、その人にひとたび触れたら、安心が出来てくると言うほどしの内容を頂いて行きたい。それは、我が心が神に向こう、精進をしておる人たちの、姿の中からそれが頂けるのであります、ね。
明日から、いろんな御用の分担、いろいろ、お話が先ほどあってましたけれども、ね、ああ若先生の結婚式じゃから、一日ぐらい、まあね、(お付相手に?)はならんというのじゃなくてです、またおかげ頂かにゃんけんじゃなくてですたい、ね。私はもう事神様の事と言うたら、何もかにも忘れれるほどしのもの、ふみよ先生がもう自動車の事と言うたら、ね、商売の事さえ忘れると言う、先ほど言うておりました。
ね、事、神様の事、事、教会の事と言うたらです、ね、今日の高橋さんが、今、長崎の方に今度支店が出来ます。今ちょうど税務署が入っていろいろ調査が入っております。そうすると、合楽の事が三つ(泥混ぜ?)になって、どうにもその、頭から打ちこんで御用が出来ないと、いやそんな事じゃ無い、毎日御用は一生懸命なさっておられるけれども、心が、長崎の方に行ったり、(ぜいふきん?)の方に行ったりしとるわけなんです。
★その事をお届けになりましたら、(のんでかかれ?)と仰っておるんですね、神様が。飲むと言うこと、もう例えば税金がいくらかかろうがそげな事問題じゃ無い、長崎の事はもう責任者に任せとるからよかという気になれと、もう神様にお任せしきって、教会の御用に本気で打ち込めとこう言う事、他の事はもう飲んでしまうと言う事。それが、それがです、小さい事じゃ飲まれませんからね、飲もと思ったら、ね。
ですから、やはり、ね、その、それが飲めれるだけの、心というものが必要なんです。そこに、あたくしはおかげの体験と言うものは必ず伴のうて来る、とこう思うんです、ね。馬鹿と阿呆になる稽古、それはそのまま、神様になる稽古、ね、皆さんが最近、ほんとに若先生の御結婚おめでとうございます、おめでとうございますとこうご挨拶を受けるが、ほんとにです、あたくしを始め、あたくしを一家がです、ほんとに、有り難い事になってこなければならないと言う事、ね。
おめでたいと言う事は、ありゃちっと馬鹿じゃなかじゃろかっち言う時に、ありゃちっとおめでたいと言うでしょうが。だから、めでたいとはそう言う事なんですよ。なーんにも触らん、ね。そりゃめでたい事は寄ってからもう、いらいらもやもやしたり、根性悪い事言うのそれは、いっちょもめでたい事じゃないわけなんです。やはり、めでたいとは、馬鹿と阿呆になる事に繋がるようです、ね。
そのために、一つ、本気に、ところがね、合楽の方達は、こりゃ類は類を持って集まるでですね、あたくし、んー、が、いわゆるぼうけしょうですから、もう、大体は皆ぼうけしょうのようですね、合楽の方達は。今ぼうけとらんでも毎年は必ずぼうける事になるんです。これはほんのこて、ね、まあそうでなからなければですね、あのー、楽しい事、有り難いという事になりません。
参らんならんけん参るぐらいの事じゃつまらん、ぼうけてから、あー、ね、やっぱ、その近所のもんからでも親戚の人からでも、ね、(?)じゃ無いばってん、久留米の妹はもうとにかく、金光様っちゅったらもうとにかく金光様にぼうけとるけんっちから、その言われる事をね、もう有り難いと、お礼お届が出来るほどしのね、ぼうけ方、ね、でなからなければ、我が心が神様に向こうて精進して行くのだと言うような事は言えません。
どがしこがんばったっちゃだめ、ぼうけなければ、ぼうけると言うのは大変言葉はわるいですけれども、ぼうけると言う事は化して行くと言う事、ね。革が、鞄に化して行く、革が靴に化して行く、ね、だから、あたくしどもはただ、人間じゃあない、いわゆる生神を目指しての、信心をさして頂いておると、言う自覚に立って、金光様の御信心をさして頂くもんだと、あたしは思う。どうぞ。
明渡徳子